昔から不思議に思っていたことがある。
動物研究者など、ある動物と深く関わっている方は、だんだんその動物に似てくるのではないか。
動物研究者の容姿は、しばしば研究対象動物に似ているし、動物園の飼育員さんの容姿は担当動物に似てくる(あくまで私見です)
思っていても口に出す機会もなかったが、そのことをズバリ指摘し考察している文と出会った。
「僕には鳥の言葉がわかる」鈴木俊貴著 小学館 (動物の博士 P130~139)
シジュウカラが言葉を持ち、しかも文を作って会話していることを証明した動物言語学者、あの鈴木俊貴さんです。
著者は、博士になったころから「シジュウカラに似てない?」と頻繁に声をかけられるようになったという。
そして周りの研究者を見渡しても、「この人、研究対象に似てる!」と思うことが何度もあった。
コウモリ、スズメ、チンパンジー、カマキリ、ネコ… いずれの研究者もしかり。
著者はどうして研究者が研究対象に似ているのか、もと京大総長でゴリラ研究の第一人者、山極寿一さんにぶつけてみた。(その答えは長くなるのでここでは省略する)
「ちなみに山極先生もゴリラそっくりだ。習性も容姿も、ゴリラに似ている。」(文中より)
山極先生についても、こうもはっきりと記している。
同感!
山極先生のお姿を間近に拝見する機会があったが(講演会で)お顔はもちろんその威風堂々とした佇まいもゴリラを思わせた。
また動物写真家で「岩合光昭の世界ネコ歩き」の岩合光昭さんはネコ科の動物にそっくりではないですか。
TVなどで拝見すると、お顔やその身のこなしはチーターとか豹を思わせる。
著者は動物学者の習性や容姿が、研究対象に似ていることに関して、二つの可能性を示す。
【仮説1】もともと顔や雰囲気がにていることで、その動物に興味をもち、研究するようになった。
【仮説2】研究を続けるうちに、徐々に容姿も動物のように変化し、似てきた。
そして私にはもう一つ、ミラクル仮説が思い浮かんだ。
ゴリラ研究者は、ゴリラ世界から、ゴリラを救うミッションを託されて人間社会に送り込まれた人。
鳥の研究者は、鳥を救うために、鳥の世界から人間として送り込まれた人。
それぞれゴリラ世界、鳥世界、虫世界などから来たのだから、その容姿や習性を彷彿とさせてもおかしくない。
いかがでしょう、この仮説。
人間だけがこの地球で特別ではないはず。
それを他の生物たちはこの上なく平和な方法で(使者を送るという)伝えようとしているのかも知れない…
そんなことを想ったりするのです。
追伸:この本の素晴らしさは、全体を読んでこそにあります。「鳥たちの世界と人間の世界をつなごう。そしてもう一度、自然を正しく観察する目を人類にインストールするのである!」P234 とあるように著者の想いが詰まった一冊です。このブログでは文中のほんの一部のエピソードをとりあげたにすぎないことを申し添えておきます。


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