いつか父の手を握る

今朝、まだ布団の中にいるとき、ふと父のある日の言葉が思い出された。

「つろうて、悲しゅうて、寂しゅうて……」

13年前、母が亡くなる少し前だったと思うが、父が絞り出すように訴えた。

母の介護という現実的な対処に追われ、家族が慌ただしく動いている中でのことだった。

「つろうて、悲しゅうて、寂しゅうて……」

父がストレートに気持ちを吐露した。

 

今思うと、家族のなかで一番気持ちに素直だったのは、父ではなかっただろうか。

感情をストレートに出し、気に入らないことがあるとしばしば家族を罵倒した。

同時に父はさびしがりやで、人のぬくもりを欲していた。

不安な時には「手を握ってくれ」と臆面もなく言ってきた。

不慮の事故で指を失い手術を終えた日の晩、病院で付き添う私に「手を握ってくれ」と手を布団から出してきた。

数年前に腸閉塞を発症し、病院での手術を終えて専用の車で搬送される車内でも、付き添う兄に「手を握ってくれ」と頼んだという。

 

今年の初夏、父は亡くなった。

お別れの時、手を握ることができなかった。

その日の朝、付き添いの予約をしようと施設に電話したら、急に容体が悪くなったという。

すぐ岡山に帰ることにしたが、支度はできていないし、洗濯機も回している最中。

それらを済まして新幹線に飛び乗り、病院に着いたのは4時間後だった。

病院の駐車場に着いたとき、兄からの電話が鳴った。

わずかに間に合わなかった。

洗濯など途中で放りだせばよかった、もう一本早い新幹線に乗れていたなら……

 

あのとき父の手を握ってあげることができたなら、旅立つ父にわずかでも力を送ることができたかもしれない。

私もその最後のぬくもりを体に刻むことができただろう。

 

いつか会ったら、真っ先に手を握ろう。

そして父の好きだったラテンのリズムに乗って、タンゴでもマンボでも一緒に踊ろうな。

「つろうて、悲しゅうて、寂しゅうて……」のない世界で。